正直、自分がやっているフリースクールが正しいのか確信できない件について

「あのフリースクール、最悪やねんでっ!」

保護者の人たちと話していたとき、とあるフリースクールの話題になった。

「いや、ほんま最悪やねん」
「私も、未だに許せないんですよね」

数人が「分かる〜」と口を揃える。

「だからねっ、D.Liveさん、もっとガンバって!!」

急に水を向けられ、戸惑う。

でも、そんなことはお構いなく畳みかけてくる。

「ほんまやでっ! ガンバッてや! もう全部の検索結果で上位に表示されるくらいにしよっ!」

温かい言葉を受けながら、僕はすごく複雑な気持ちになっていた。

評判が悪い団体があることを知ったのも残念だったけれど、それ以上に僕の中ではモヤモヤすることがあった。

ありがたいことに、保護者の人たちは僕たちをいつも褒めてくれる。

このときも、「いやぁ、滋賀にD.Liveがあって奇跡やわ。ほんと滋賀に来てくれてありがとう」とおっしゃっていただいた。

もう、最大級の賛辞だ。

「おかげさまでうちの子がすごく元気になりました」

「そちらへ行かせたことで、今までにない気持ちで正月を迎えることができました」

「子どもが、学校へ行ってみようかなと言い出しています」

フリースクールを始めて8ヶ月。

来ている生徒は、どんどん成長していき、保護者からも有り難い言葉をたくさんいただいている。

嬉しい。
ありがたい。

やっていて、良かったと思える。

困っている人の役に立てているのは、素直に嬉しい。

でも……。

なんだろう、この複雑な気持ちは。
なんだか、モヤモヤする。
帰り道、一人でウダウダと考えていた。
すると、あるセリフを思い出した。

あぁ、なんだっけ?
そうだ。小学生のときに読んだ、ブラックジャックだ。

たしか……

ブラックジャックの師匠である本間先生が言っていたんだ。

帰って、ネットで調べる。
そうそう、これだ。

「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいと思わんかね?」

生命の神秘がたくさんあるから、医者ができることなんてちっぽけだと、本間先生は言う。

僕は、子どものときにこの言葉を聞いて、深く考えさせられた。

今になって、この言葉を、ふと思い出した。

フリースクールをしていて、未だに毎回、反省の日々だ。

「もっとできたのではないか?」
「子どもたちを満足させられただろうか?」

保護者のかたは満足している。
子どもたちも「楽しい」と言ってくれる。

それ以上、なにを望むのだ? とも思う。

でも、やっぱりモヤモヤする。

もっとできる。もっとしてあげることがある。
いつも物足りないまま、子どもたちを見送っている。

僕たちは、なんとしても学校へ戻したいとも思っていないし、勉強させようとも考えていない。
ただ、次のステップに進むための貴重な時間にしてあげたいと思う。
学校へ行けないから代わりに来ているだけ、楽しいから来ているだけ、にはしたくない。
学びある時間にしたいし、成長が感じられるようにしてあげたい。
だからこそ、「もっとしてあげられるんじゃないのか?」と思ってしまう。
他に出来ることはないのだろうか? と、思う。

しかし、本間先生の言葉を思い出し、僕は迷う。

自分が考えていることは、とてもおこがましいことじゃないのか? と。

子どもたちは、自ら学ぶチカラがある。
子ども同士、関わりの中で学んでいる。

子どもたちが成長しているのは、決して僕たちのチカラなんかじゃなくて、子どもの自力ではないのだろうか、とも思う。

ならば、僕たちが「もっとできる」「まだまだやれる」と思っているのは、ただの勘違いで、僕たちはなにもできないのかも知れない。

そうであるなら、僕たちは子どもたちが楽しそうにしているのを、優しく見守ってるのが、あるべき姿のような気もしてくる。

果たして、なにが正解なのだろうか?
なにも出来ていないと思うからこそ、僕は褒められたとしても、「ありがとうございます」と心から思うことができない。
なにが正しいのかが、全く分からない。
いや、そもそも正しさなんてどうでも良くって、子どもたちが楽しそうにしているならば、それでいいのかもしれない。

様々な理由があって、学校へ行けなくなった子たちが、未来へ向かうステップにしてくれたら、それ以上望むことはない。
 

きっと、この答えはまだまだ出ないのだろう。
僕たちは、この問いについて、これからも真正面から悩んでいく必要があるのだと思っている。

むしろ、「これが正解だー」と思って、その方針でやるよりも、子どもたちと一緒に話し合いながら、この場所を作っていくのが良いと、だんだん思ってきた。

だって、この場所は僕たちが作るのではなくて、生徒たち自身が作っていく場所なんだから。

やっぱり、僕たちがなにかやっていると思うのは、おこがましい気がする。

 

僕たちは、なにもやっていない。
いや、する必要すら、ないのかもしれない。

ただ、笑顔で、子どもたち一人一人の話を聞いて、温かく受け容れてあげる。
それだけでいいのかもしれないな。

あとは、子どもたちがつくっていってくれる。
 

 

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    この記事を書いた人

    1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

    中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
    しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
    野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
    浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
    友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
    フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
    京都新聞にして子育てコラムを連載中。
    詳しいプロフィールはコチラから

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